ウォルト・ディズニー・トレジャーズ、またはミッキーマウスのDVD? アニメーション愛好、ノスタルジア、そしてホームビデオにおける劇場向け短編カートゥーンの競合する表象
劇場時代の短編アニメーションは、時として、複雑で矛盾するテキストの本質をもたらす。ほとんどのカートゥーンはもともと一般読者向けに作成されたものであるが、その後ほとんど子供のみを対象にマーケティングされ、テレビで繰り返された。DVDの普及により、これらの映画の状況はより複雑になっている。その一方で、DVDというフォーマットにより、珍しいアニメーション資料のリリースが促進された。たとえば、『Walt Disney Treasures』と呼ばれる複数枚の特別版は、以前は無視されていた成人視聴者を対象としている。しかし、ディズニーは、ほとんど同じアニメーションを特集している低価格の「家族向け」ディスクを製造している。『Treasures』版とは異なり、問題のある内容を校閲し、状況を説明するボーナス版は付いていない。この2つのコレクションのいずれかを選択して視聴するということは、映画の解釈に多大な影響を与えることになる。トーマス・エルセッサー(Thomas Elasasser)によると、献身的な映画ファン(およびこの研究の目的では、アニメファンに等しい)によって熱烈な形で具象化される映像文化は、世代記憶の産物の映像として自らを認識することができなくなる。このようなグループによるとDVDの特別版は、その形式自体によって内容がどの程度まで修正されているのかを認識せずに元の映画としての体験を与えてくれるため、最も「本物」に近いということになる。たとえば、『Treasures』ディスクは、1930年代・1940年代以来公開されたことのない『復元』映像など、通常映像をノーカットで提供しているが、しばしば人種差別など異論の多い要素に対する歴史的な状況を提供する必須の責任放棄声明が付随している。これらのコレクションが提供する莫大な量の資料は、「すべて再生」機能を使った一気見機能などが含まれるが、劇場において限定された量の資料を見るという体験を様変わりさせることになる。この論文では、特別版および「家族向け」DVDのオプションは、過去を本当に取り戻そうとするのではなく、映画に対する現在および将来の受け止め方を決める上でのノスタルジックな葛藤を最終的に反映しているということを示す。