画面全体の変容および仮想カメラ(アニメーションにおける透視画法のムーブメントに関するメモ)
本稿は、カメラのムーブメントの理論が多くの場合想定するカメラとその世界間の関係の問題を提起するために、アニメーションにおける空間的定位の特別な種類のゆがみを扱っており、著者はそれを画面全体の変容と呼んでいる。デジタル画像における最新の発展は、「カメラのムーブメント」について語ることが未だ意味を成すかどうかの学者間の議論の混乱に拍車をかけた。というのも、多くの場合、実機のカメラはほとんど(例えば「Gravity(ゼロ・グラビティ)」)あるいはまったく(例えば「Frozen(アナと雪の女王)」)使用されていなかったためである。著者は、この混乱は誤った方向へ導かれることが多いことの根拠を示している。それは、重要な解析ツールとしてのカメラのムーブメントは、実機のカメラ使用方法(非使用)にかかわらず、常に透視画法のムーブメントの現象学に基づいてきたということである。しかし、アニメーターは、我々の映画の世界のより基本的な印象に対する関係を効果的に変容させながらそれを切り取るような方法で透視画法のムーブメントを使用することがある。こういった変容について2つの種類が調査されている。一つは、我々の空間に対する印象におけるゲシュタルト・スイッチを作製したNorman McLaren(ノーマン・マクラレン)の「Blinkity Blank(線と色の即興詩)」に見られ、もう一つは、世界の印象を支えるために必要な地面の間隔を奪ったCaroline Leaf(キャロライン・リーフ)の「The Metamorphosis of Mr. Samsa(サムサ氏の変身)」にカメラのある種の進化として見られる。これらの現象は、ライブアクション、アニメ化、デジタル画像間の関係に関するより繊細な説明の必要性を指し示している。