支配機械――デジタルアニメーションと統制のファンタジー
数十年間にわたって、クリエーターは自身の描くイメージに対して絶対的な統制力を持っているという考えが、アニメーション言説の軸でありつづけてきた。コンピュータアニメーションの到来は、近年、そのような議論を再活性化している。SF長編アニメーションである『メトロピア』(タリク・サレ、2009)、『メトロポリス』(りんたろう、2001)、『ファイナルファンタジー』(坂口博信・榊原幹典、2001)は、進歩したテクノロジーによって容易になった高度な芸術的支配力をめぐるユートピア的な白日夢と明らかな懸念を呼び起こす。以上の3本の映画をケース・スタディーとして用いながら、本稿は、コンピュータアニメーションによる未来的な都市空間を統制の建造物として検討する。さらに、人間の形を模倣的に再現したものに対するアニメーターの増大した統制力から生み出されたものであるデジタル上の身体を議論し、コンピュータアニメーションが、イメージに対するその技術的・芸術的支配力を驚異的な偉業としていかに前景化するかを探究する。そうする中で、本分析は、全能のクリエーターという夢が全能な機械へと進化していく様子に光を当てる一方、テクノロジーがアニメーターの労働を侵食し、今日の生産活動のコンテクストにおいてその労働を時代遅れのものにする危険の可能性に関する懸念も前景化する。