発明家としてのアニメーター―労働者と2010年代の新しいアニメーション・マシーン・コメディ
2010年頃から、発明家のキャラクターが超大作アニメーションに出現するようになった。『ロボッツ(Robots)』(クリス・ウェッジおよびカルロス・サルダーニャ、2005)、『くもりときどきミートボール(Cloudy with a Chance of Meatballs)』(フィル・ロードおよびクリストファー・ミラー、2009)、『怪盗グルーの月泥棒(Despicable Me)』(ピエール・コフィンおよびクリス・ルノー、2010)、『ベイマックス(Big Hero 6)』(ドン・ホールおよびクリス・ウィリアムス、2014)などコンピュータ3Dアニメーション映画とその続編は、発明家と彼らの大げさな機械を主役にしている。この論文では、アミメーターの自己反映的比喩としての発明家の職人キャラクターを探索する。著者はクラフトンによるアニメーターの自己形成についての論文およびトム・ガンニングの機械と喜劇、そして作業美学に関する研究を拡大し、アニメーターおよびアニメーションの労働力についてのさらなる討論を展開する。この論文では、同時代のアニメーションスタジオの生産モードだけでなく、ポストフォーディズムの生産モードの大きな懸念を反映する2010年代の新しい機械喜劇アニメーションの政治的課題を探求する。