アニメーション日中交流記 持永忠仁自伝
アニメーション映画製作の基礎を築いた作家、持永只仁(1919-1999)。長春と佐賀で過ごした幼少年時代から、戦時下日本でのアニメーション製作、終戦前後の満洲映画協会(満映)、内戦下中国のスタジオでの人形アニメへの挑戦、そして文化大革命後、中国アニメーションの日本への紹介と北京での後進の育成まで、多くの人々の交流をまじえながら語る、日本と中国の架け橋となった芸術家(アーティスト)の自伝。
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アニメーション映画製作の基礎を築いた作家、持永只仁(1919-1999)。長春と佐賀で過ごした幼少年時代から、戦時下日本でのアニメーション製作、終戦前後の満洲映画協会(満映)、内戦下中国のスタジオでの人形アニメへの挑戦、そして文化大革命後、中国アニメーションの日本への紹介と北京での後進の育成まで、多くの人々の交流をまじえながら語る、日本と中国の架け橋となった芸術家(アーティスト)の自伝。
最近ではインターネットで戦前から戦中にかけてのアニメーションを見られるようになっており、アニメーション史を研究しやすい環境になりつつある。それでもまだ、1917年に国産アニメーションが始まり、1956年に東映動画が設立されるまでの数十年間に関しては、十分な研究がされているとは言い難い。このリストでは東映動画設立以前の時代に注目し、制作者の自伝や評伝、さらに作品を理解する手がかりとなる書籍を取り上げる。
人形アニメーション作家としても知られる持永只仁の自伝。戦時中、瀬尾光世の下で『桃太郎の海鷲』(1943年)の制作に携わった際の思い出、さらに満映への移籍を契機とする中国での制作活動についても語られている。