『桃太郎 海の神兵』論―国策アニメーションの映像実験
『桃太郎 海の神兵』(1945)の映像実験について検証する。 おもに影絵アニメーション、ミュージカル映画、ドキュメンタリー映画、プレスコと透過光の採用に着目して映像テクスト分析を行う。同時に、物語映画の話法が適宜用いられることによって、多様なイメージが拡散することなくストーリー(日本の勝利)へ収束され、観客を吸引しうる作品となるさまを分析する。そして、日本のアニメーションでは描かれてこなかった本格的な「死」の表象が、『海の神兵』に現れている可能性について論じる。そのうえで、『海の神兵』がプロパガンダ映画であるとともに、殺人を正当化する戦争の根本的な矛盾を問いかけるような両義的な作品である可能性を示す。本論文では、 瀬尾光世がプロキノ時代から培ってきた宣伝力と、たしかな演出力にもとづく映像実験によって、『海の神兵』が映像史上において稀有であり、かつ今日的な意義を有する作品であることを明らかにする。