「教育映画」が護ったもの:占領下日本におけるアニメーション映画試論
今回の調査で占領期における検閲の手続きの具体的な内容が一部明らかになった。当時、日本の漫画映画は「教育映画」という狭いカテゴリーにおかれ、多様な作風のものが現れたことも分かった。1947年の『ムクの木の話』は、一定の観客にはぎこちないと受け入れられるような動きで構成されているが、これは後のアニメーション三人の会で言及される表現形式へ継続されるものではなく、東宝の航空教育資料制作所からきた独自の流れであり、特撮というジャンルへ繋がるものであった。占領下日本の漫画映画界は、解放や検閲という目まぐるしい環境の変化に対応しながら、「教育映画」というカテゴリーを結果的に利用して、実験的な作品を生み出した。「教育映画」は一般的な意味での教育の成果をあげるためのものだけではなく、はからずも日本アニメーション映画史における分岐点となるような重要な作品、あるいは主流の作品とは異なる多様な作風のものを育む土壌ともなった。