アニメーションにおける通称「オバケ」に関する一考察~数学的・物理学的理論の観点から~
アニメーションにおける通称「オバケ」は、作者がアニメーション制作において用いる、仮現運動や動きの錯覚を励起する意味の無い絵として緩やかに定義されてきた。しかし、その定義は生態心理学、数学、物理学の観点からも検証されるべきである。本論文では「オバケ」を以下のように分析し定義し直す。それらは錯覚や仮現運動を作るための意味の無い道具ではなく、「動きを同定するための知覚情報」そのものであり、十分な意味と内容を有しているものである。
アニメーションの制作とは、動きを特定する情報を変換する作業であると考えられる。すなわち、制作される動きの情報はそれぞれの動きを時間によって微分した結果もたらされるものであり、それらは時間の矢に沿って並べられたいくつかのフレームにより、映像において再構築されるよう作られたものであると言えよう。そこに錯覚が入り込む余地はないだろう。たとえ一目見ただけでは何が描かれているか分からなくても、それらは制作者が発見した動きを構成するために必要不可欠な情報だと推測される。それは「生命の錯覚(The Illusion of Life)」ではなかろう。