トーキー黎明期におけるアフレコ
音声の収録においてアフレコが用いられることは、日本のアニ メーションの特性と考えられてきた。そのため、アフレコについては様々な議論が展開されている。そこでは、主に次のことが前提とされてきた。それは、(1)アフレコの対義語はプレスコであること、(2)日本のアニメーションではアフレコが一般的に用いられていること、(3)アフレコは台詞の収録のみを指し、音楽や効果音の収録は含まれないこと、の3つである。しかし、これらの前提は歴史的に構築されたものに過ぎず、普遍性を持ち得るものではない。本稿では、そのことをアニメーションに音声が用いられるようになった、1930年代の映画雑誌の言説を参照して検証した。まず、アフレコという言葉は、 実写映画の業界で誕生し、もともとは同時録音の対義語であった(1)。また、村田安司、中野孝夫、政岡憲三といったアニメーターの言説において、アフレコは批判的に論じられる傾向にあったため、一般的に用いられることはなかった(2)。さらに、当時のアフレコを含む音声収録は、音楽を軸に制作が行われ、それに合わせて台詞や効果音が形作られていた。よって、 台詞の収録だけを指してアフレコと呼ばれることはなかったのである(3)。