未来の国における不在の家父長と説得力ある執行者:ウォルト・ディズニーの『ピノキオ』『ダンボ』『バンビ』からアメリカの戦時期の父親たちを当時の状況に即して読解する
本論文は、ウォルト・ディズニーを評価するうえで基準となる長編作品『ピノキオ』(1940年)『ダンボ』(1941年)『バンビ』(1942年)の父性および父権の描写について、歴史的文化的文脈に即した分析をとおして考察する。筆者が目指すのは、これらの作品で父親像がどのように構成されているのか、劇場公開の間の短い期間内でその提示の傾向がなぜ大きく変化するのか、この二つについて一貫した研究を提供することである。本論文は、1940年代初頭のアメリカにおいて、これらの長編作品が傑出した父親のキャラクターたちとともに、父性と男らしさをめぐる過渡的で挑戦的な考え方をいかに比喩的に提示しているかを論証する。巨大な社会的危機であった大恐慌と第二次世界大戦は支配的なジェンダーの役割を不安定にし、ひとつの反応としてイデオロギー的に緊迫した言説を生じさせたが、それは同時代に主流だった映画において虚勢を張るようにして広められ、かつての家父長的秩序を回復しようとしたものだった。本論文はディズニースタジオがこうした大衆的言説にどの程度関わったのか、あるいは自らの利益のためにどの程度利用したのかを明らかにしようとする。最終的に本論文が調査するのは、これらの映画がその時代の「現実」と父親の役割の構築と理解にどのように寄与するかということである。