日本におけるアニメーションとしての『白蛇伝』の復活
本稿は、1950年代日本における『白蛇伝』のアニメーションとしての再登場に関連した複数のファクターを分析し解明する。『白蛇伝』のアニメーション化は、戦後という新たな時代、新たなイメージ創出ビジネスがより至急なことになった東アジアおよび東南アジアにおける多数の要求によって押し進められ、微視的な目的と巨視的な目的を同時に果たした。白蛇伝の伝説は中華圏でよく知られており、当初は日本と香港の合作映画プロジェクトだった。したがってそのアニメーション化にあたっては、まず第一に中華圏の観客向けの作品として想定するということが、制作者(東映アニメーション)側へと期待されていただろう。しかし日本側の制作者は、この映画を作ることが、収益面および地政学的な利益をより多く見込めることを考え、他にも内密の計画を持っていた(もしくは後に発見した)。本稿は、「遂行性(performativity)」という概念を用いつつ、いくつかの次元においてアニメーション化の遂行上の過程に対する解釈を行う。そして、東映アニメーションスタジオとその夢を作り出す企業としての根本的役割の歴史を追っていく。