高畑勲におけるユートピア表現とディストピア表象の意義──「ヒルダ」と「かぐや」、二人の少女にみるヒロイン像の相克
高畑勲の初演出作品『太陽の王子ホルスの大冒険』(1968)から、その最終作品『かぐや姫の物語』(2013)に至る 45年間において、その少女像はいかに変化したのか。本論は両作品の世界観に通底するヒロイン像を比較することにより、現代社会における人間の生きる意味とその価値を問うものである。それはまた、高畑勲作品に見いだされるユートピア表現とディストピア表象を、物語世界の 2人の少女(ヒルダとかぐや)の生き方に読み込むものとなる。さらに「かぐや姫」と宮崎駿の「ナウシカ」との比較をおこなうが、これは高畑作品が示す現代社会との葛藤をより明示するためにある。この試みを通して芸術労働と産業労働の矛盾を乗り越えようとするアニメーション作品制作の営みは現実矛盾を色濃く物語りはじめる。それは、自分たちの生きる場を見つめ直し、再構成するために、一筋の光を後生に残す「希望の原理」を内包している事実を見つけ出すことになる。