日動から東映動画ヘ(熊川正雄氏インタビュー)
熊川正雄氏は1916年京都府生まれで、経歴は1930年代まで遡る。戦後、東映動画の前身である日動映画で原画を担当し、戦時中には、『弁慶対牛若丸』(1939)、『くもとちゅうりっぷ』(1943)の制作に関わる。戦後日本アニメーションにおける傑作として知られる『すて猫トラちゃん』(1947)、『小人と青虫』(1950)の制作にアニメーターとして参加した。その後アニメーション界を離れ、しばらくイラストレーションに携わる。1956年にはアニメーターの養成係として東映動画に招かれ、『少年猿飛佐助』(1959)、『西遊記』(1960)の制作に関わる。1964年に東映動画を退社し、東映動画の課長代理だった山本善次郎氏が設立した「山本アニメーンヨン研究所」へ招かれアニメーターを養成する。「山本アニメーンヨン研究所」の退社後は、自ら「熊プロダクション」を設立し、テレビアニメーションの制作にアニメーターとして関わる。現在は、水彩画の画家として活動している。