アニメーションにおける死
ウインザー・マッケイが、沈没船の乗客の死をドキュメンタリー風に描いて以来、死の表現はサイレント・アニメーションにおいてタブであった。ディズニーがアニメーシヨンにリアリティをもたらしたとき、アニメーションに死の表現が入り込んだ。「白雪姫」における魔女の死は、邪悪に対する勝利の証しであった。「バンビ」では、ハンピが母親の死を受け入れる過程が示された。こうした孤児が主人公となる作品は日本のシリーズものなどによく見いだされる。これらでは、死はシリアスなものであった。これとは別に、ワーナ一作品では死を笑いの種にした。パックス・パーニーは銃で撃たれて今にも死にそうな苦悶の様相を呈しつつ、撃ったエルマー・ファッドをあざ笑う。こうした死についてのギャグは、最近の「サウスパーク」に受け継がれている。さらに、ブルーノ・ボッツェットは「バッタ」のなかで人間の歴史を要約し、死はひとつの行き着く先であることを意識化させた。リチャード・コンデイの作品では核爆発後に天使になった夫婦は、天国で、死の直前までやっていたスクラブルを、また何事もなかったかのように続ける。「ザ・シンプソンス」の中で車にはねられたパート・シンプソンは、天国、地獄、現実を往来した。一方、ホーマー・シンプソンは、死を宣告されその準備を始めたり、夢の中で神に命の意味を問い、神より、それは死の訪れと共に明らかになるとの答えを得た。