シエラオンラインのアドベンチャーゲームから考察するゲーマーのアニメーションとアニメーターとしてのゲーマー
アメリカのソフトフェア発行元であるシエラオンラインが、自社のアドベンチャーゲームインタプリタを使って制作したデジタルアドベンチャーゲームは1980年代にかけて販売された。このゲームは、デジタルのゲーム体験に不可欠であるアニメーション開発において非常に重大な役割を果たしたが、その役割は見過ごされてきた。当時、同社が発売していたゲームに関する歴史的・理論的な議論の注目はゲームのジャンルであった。一方で、このゲームがアニメーション化されたアバターとそれを操作するゲーマーの関係に及ぼした影響については無視されてきた。本稿でも議論しているが、この関係とは実質的にゲーマーをアニメーターに変えるものである。クリス・パラントが「Video games and animation(ビデオゲームとアニメーション)」(2019年、『The Animation Studies Reader』所収)で述べている、アニメーションはデジタルゲームに没頭するうえで必要不可欠であるという議論を考慮するのなら、ゲーマーがアバターを自由にアニメ化することができたシエラオンラインアドベンチャーゲームは、デジタルの世界に没入する道を開いたのではないか。また、ゴンザロ・フラスカの「Ludology meets narratology: Similitude and differences between (video) games and narrative(ルドロジーとナラトロジー:(ビデオ)ゲームとナラティブの類似点と相違点)」(1999年)のナラティブ主導型あるいはフリープレイ型(ludus 対paidea)というデジタルゲームの区分を参照するのであれば、シエラオンラインのアドベンチャーゲームは、ゲーマーの能力からアバターの操作まで、二つの要素間の重要なバランスを示す初期の例として役立ったといえる。さらに、シエラオンラインのアドベンチャーゲームは、アニメーターとアニメーターが操作するキャラクター間に存在する従来の緊張関係をうまく利用している。これについてはスコット・ブカットマンが『The Poetics of Slumberland: Animated Spirits and the Animating Spirit(Slumberlandの詩:追従者と主導者)』(2012年)の中で、従来のアニメーター、アニメーターが操作するキャラクター、および視聴者間の分断について論じている。本稿が目的としているように、こういった研究のすべてが今日のデジタルゲームにおけるアニメーションが持つ役割に影響を与え続けている。