映画『パーフェクトブルー』の複雑な物語の解明
映画評論家および研究者の両者によって、『パーフェクトブルー』(今敏、マッドハウス、1997年)の特徴といわれているのがその複雑なストーリー性だが、その定義は曖昧なものである。本稿では、今監督初の長編映画である本作において特に曖昧なシーンに見られる物語の複雑さ、解釈の広さ、不透明さを、物語学的分析を通して考察する。著者らは、デヴィッド・ボードウェルとエドワード・ブラニガンによって提唱された認知論的映画理論を用いて、本作品に見られる情報の流れの変調、つまり高いナレッジビリティー、高い自己意識、そして時に少ない情報量という観点から、同理論のアプローチをスラッシャー映画の慣習と結びつける。未麻、内田(通称ミーマニア)、ルミという3人の語り手の焦点がベールに包まれながら変化する様子を観察することで、『パーフェクトブルー』内の複雑なシーン分析を行う。このために、現代の従来型のパズル映画(puzzle film)と呼ばれる複雑なストーリーテリング物語において、ルミが未麻を追い詰め 、殺人に関与していることを隠すためにどのように観客の判断、先入観、認知的錯覚が物語に利用されているのかを探る。著者らは、本作品の複雑な物語を日本のポップアイドル(および元アイドル)の描写、および日本の音楽・映像のエンターテインメントの状況と重ね、批評的な解説を結論で述べる。