ディストピアの核心におけるアニメーション:アリ・フォルマンの『コングレス未来学会議』
アリ・フォルマン監督の『コングレス未来学会議』(2013)は、スタニスワフ・レムのSF小説、泰平ヨンの『未来学会議』(1971)のディストピア的見解から発想を得ており、人間がゆっくりと人工的な形に変わっていく姿、つまりアニメーション化していく姿を示した映画である。アリ・フォルマンは、原作の舞台を架空の未来からハリウッドに移すことで、制作システムだけではなく、人間の思考そして社会的変化における触媒的な役割をCGIアニメーションに与えた。こうすることで、この映画はデジタル化される時の役者の役割の変化と映画業界で進む非物質化についての思考を巡らしているのだ。シミュレーションが取り返しのつかない現実と化すディストピアの未来を考慮している。これにより、 アニメーション技術が「消去の文化」をもたらしたとするジャン・ボードリヤールとアラン・チョロデンコの論文と『コングレス未来学会議』を結びつけることが可能になる。さらに本稿では、旧ソビエト時代の情報操作に関するレムのメタファーがどのように『コングレス未来学会議』の2部で使用され、映画というビジョンを通した集団的中毒に変換するのかについて、オレクサンドル・ドヴジェンコとエドガール・モランによる「映画全体(total film)」に関するスペキュレイティブ理論に関連づけながら注目する。これは今日のバーチャルリアリティと拡張現実の発展性に近いものである。また、『コングレス未来学会議』で描かれる映画業界やアニメーション技術には不穏さが見られるが、映画に対するビジョンには懐かしさを感じるのは、商業主義優先をアニメーションに変えたアニメの黄金期の伝統のすべてを裏づけるものであるからだ。これが示唆するのは、人生を映画化しポストモダンにおけるアニメーションと映画の間の連続したつながりの構築である。