メアリー・エレン・ビュートの初期映画における表現力豊かな運動
メアリー・エレン・ビュートは1935年から1938年にかけて、 『リズム・イン・ライト』(1935年)『シンクロミーNo.2』(1936年)『放物線』(1938年)『エスケイプ』(1938年)など主にアニメーション映画の連作によって映画制作者としてのキャリアをスタートした。本論文では、芸術的で表現力豊かな運動を創造するアニメーションの可能性について、これらの作品が革新的で巧妙かつ目的のある研究をどのように提供したかについて検討する。ビュート自身の著作に細心の注意を払いつつ本論文が探求するのは、映画を構成されているだけでなく自由に流動もする新しい形のキネティックアートとみなす、ビュートの発展性のあるビジョンとこれらの映画がどのように関連していたかである。絵画や音楽、彫刻、分解写真を援用しているが、ビュートの作品は高度にメディア融合的であり、これらの芸術やメディアに映画やアニメーションの運動というダイナミックな可能性を与えるものであった。ビュートがどのように運動を構成し提示し表現力豊かに使用したかをたどりながら本論文がめざすのは、20世紀の重要な映画制作者への理解と同時に、ビュートが映画制作の実践と理論的な執筆活動において明言したアニメーションの運動の美学や形式、効果についての独特なアイデアに対する研究を進展させることである。