アニメーションのエスペラント語——シャーンドル・ライゼンビュヒラー作品におけるグローバリズム的ビジョン
本稿は、ハンガリーのコラージュ・アニメーション作家シャーンドル・ライゼンビュヒラーの作品を論じるものである。1960年代半ばから2004年に逝去するまで活躍した作家だが、彼の作品はアニメーションによるエスペラント語という概念に関して、理論的な問題を提起している。ベラ・バラージュが初期に編み出した、国際的な映画言語を巡る理論に端を発する概念である。筆者はライゼンビュヒラーの2作品を丁寧に論じながら、彼が風景の構成を通してアニメーションのエスペラント語を練り上げようとした点を主張する。それは、身体を通してエスペラント語を練り上げようとしたアニメーションの伝統からの意義深い切断である。本稿は、ライゼンビュヒラーによるアニメーションのエスペラント語の試みを彼のグローバリズムに向かう超越論的な政治観と結びつけ、ハンガリーの社会体制の文脈の中にその作品を位置付けるものである。最後には、ハンガリーの中心的なアニメーション・スタジオであるパンノニアの文脈を考慮したうえで、彼の作品を検討する。ライゼンビュヒラーは生涯を通して、このスタジオと関係を結んでいた。また、ハンガリーの最も有名なアニメーション作家マルツェル・ヤンコヴィチの作品は、身体と風景の相互関係がより深く読み込められることを示唆している。筆者は結論として、アニメーションによるエスペラント語において、国際主義(インターナショナリズム)と世界主義(グローバリズム)との弁証法の可能性を考え、こうした弁証法をバラージュの初期概念である国際的な映画言語に応用する。