ロッコーの魔法資本主義:『ロッコーのモダンライフ』の魔術的現実主義における物神崇拝
本論文はニコロデオンのアニメーションシリーズ『ロッコーのモダンライフ』のテクスト分析である。ギー・ドゥボールと今村太平の理論に照らすなら、このシリーズは後期資本主義の精神的危機に対する啓示的な拡大鏡だということになる。筆者が主張するのは、ロッコーシリーズが魔術的な現実主義をもちいて、物神崇拝がシリーズに文字どおり生命を与えているアニミズム的資本主義を描いているということである。シリーズに登場するキャラクターたちは精神の消耗として労働疎外を経験し、物神崇拝という黒魔術によって蘇ったゾンビ労働者として職場に化けて現れる。キャラクターたちは消費者として、生活を商品で満たすことによって、疎外された自己の衰弱した作用力を取り戻そうとする。結局のところ、彼らは生命を与えられた商品がばらまいた作用力のさなかにあって、有意義な作用力と精神的な充足を見つけることができない。先住民的なものとアニミズムの両方を噛み合わせるのはかなり問題があるけれども、『ロッコーのモダンライフ』のこの詳細な分析は、西洋のアニメーションは物神崇拝のかたちで死んだ労働者に生命を与える先住民のアニミズムの要素を横取りしたものだ、という今村の理論を支持するものとなる。それはまた、アニメーションにおける資本主義的アニミズムと先住民的なアニミズムとの相互関係および議論に対するさらなる研究を示唆する。