『アバター』――立体視覚映画と気体的な知覚、そして暗闇
本稿が提供するのは、3D映画の経験に関する理論的な分析である。その際、とりわけ注意を払う問題は、3Dメガネのような付加的な装置・メディア・フィルターといったものが、映画のイメージ対する観客側の一層高いレベルのリアリスティックな知覚を可能にする逆説的なやり方である。3Dメガネが、映像と観客との間に付加的な装置・メディア・フィルターなどの構成要素になるということは、究極的には、「固体的」な知覚と「気体的」な知覚との間の(つまり簡単にいうと、対象を固体性のバリアーとして見ることと、染み込み得るものとして見ることとの間の)違いに関する、そして知覚そのものにおける「暗闇」の重要性に関する、より一層抽象的な議論へ進むはずである。筆者の主張は、ここで3Dメガネという付随的なメディアムと同等視される暗闇が、映画を観ることにおいて核心的でありながらもこれまで看過されてきたということである。それは3D映画によってようやく明確化される側面である。筆者は、このような論点を背景に『アバター』(ジェームズ・キャメロン、2009)を分析することで、3D映画の経験に関する理論的主張のいくつかを規定しようと試みる。